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2012年10月17日 (水)

蓮池薫さん、10年目の告白 - NHK クローズアップ現代

ぜひお読み下さい。蓮池さんが直接そう言っておられるわけではないけれど、ぼくは「制裁!、制裁!」とだけ叫び続けたことが、被害者の方々と家族にとっての大事な時間を空費させたと思えてなりません。→ 10年目の告白 - NHK クローズアップ現代 http://nhk.jp/gendai/?g-20121015-3259 …

【以下、NHKのページより転載です】

10年目の告白
~蓮池薫さん “拉致”解決への思い~

拉致被害者の蓮池薫さんです。

帰国から10年、これまで明らかにしてこなかった北朝鮮での暮らしや拉致問題の内実を初めて語りました。

「死亡者というふうに北朝鮮が報告をしましたけれども、嘘です。
死んだ日にちに生存していらした」

10年前の今日(10月15日)。
北朝鮮から24年ぶりの帰国を果たした蓮池さん。
以来、拉致問題が解決に向けて全く進展しないことにいらだちを募らせてきました。
こう着した問題に風穴を開けたい。
蓮池さんは今月、その思いをまとめ、出版することにしています。
北朝鮮に残された被害者の状況はより厳しくなっていると訴えています。

「我々が思っているその気持ちよりも、はるかにつらいもの、耐え難いものじゃないかなと。
これは猶予できない問題。
すぐにでも本当に早く解決しなきゃならない」

蓮池薫さん、帰国10年目の告白。
拉致被害者みずからが語る解決への手がかりです。

この10年、深く心に刻まれていることとは?
ゲスト蓮池薫さん(大学講師・翻訳家・拉致被害者)

「ひと言で申し上げれば、やはり決断してよかった。
日本に残ってよかったということですね。
やはり、もちろん拉致された人間がいったん祖国に帰ってきたら残るのは当然だと、これはもう、誰が考えてもそうなんですけどもただ、その家族、子どもが向こうに残されている状況で葛藤もあり、また周りからいろんな目で見られる。
そういった中でも…決心して残ったと。
それが今まで見ていていい決心、決断だったんじゃないかと」

2002年10月15日。
24年ぶりに祖国の土を踏んだ蓮池さん。
しかし、それは2週間ほど滞在したあと、北朝鮮に戻ることが条件でした。
子どもを北朝鮮に残したままの帰国でした。
この時まで、蓮池さんはふるさとへの思いを封印し続けてきました。

招待所での自由のない生活。
僅かに許された旅行の際に撮った写真です。
祐木子さんとは拉致されて2年目に結婚。
その後、生まれた子ども2人が絶望の中で生きる支えでした。
子どもに不利益が及ばぬよう、朝鮮人として育て、みずからも日本人であることを伏せていたといいます。

●偽装の生活をすることまで決断をされた

「(北朝鮮)当局の上部の指示でもあったんですね。
我々が日本人だとすれば、なぜここにいるんだ、周りの人たちにいろいろ疑問を持たれる。
ですから、それを解消するために偽装の経歴というか、そういったものを向こうが与えたわけです。
こういうふうに暮らせと。
子どもの将来を考えたら、将来は日本に帰ると、で、この子らも連れて帰って、この子らが日本での生活でやっていけるようにっていう考え方じゃなくて、そんなことは考えられないと。
だから、そのためにはかえって、この偽装を逆手に取るというか、与えられた経歴、偽装の経歴を私なりに受け入れようと、子どもの将来にはそれがいいという発想を持ったということですね、それは」

●その責任感が、人生の夢になっていた

「絆の大切さ、それから夢の大切さ、こういったものはそこまで真剣に考えたことはなかったです。
拉致によって断ち切られて、それも断ち切られたしばらくの間はとにかく帰してくれと。
大声を出したり、まだ手を合わせてお願いしたり、そういう段階で、そのあとだめだなと思ったときに襲ってきた、結局は。
いわゆるその、『俺には誰もいないんだ』と、それから自分の将来っていうのもなんにもないんだという状況だったわけですよね。
そういう中で、私が暮らしてきて、やはり子どもが生まれて、自分の絆はそれではっきり新しい絆が出来たわけですから、自然にそこに子どもの将来のために集中するっていうことで、自分の断ち切られた夢を託すっていうことではないんだけど、子どもたちのために生きることを自分の生きがいにしようと」

北朝鮮での生活を受け入れた蓮池さんを、大きく揺さぶる出来事があったのは拉致されてから20年目。
当局の指示で、日本の新聞記事を翻訳していた時のことでした。
その中に息子を救出しようと立ち上がった両親の写真を見つけたのです。
著書にはそのときの動揺が記されています。

“おやじは年齢以上に老いて見えた。
それがこの次男のせいでもあると思うと、息がつまりそうだった。
胃液とともに、悲しく切ない思いもこみ上げてきた”

しかし、ふるさとの家族への思いは再び封印せざるをえませんでした。
その思いを悟られると監視が強まり、家族にも影響が及ぶと考えたからです。
突然、一時帰国を言い渡されたのはそれから4年後のことでした。

●飛行機から出てくる時の心中とは?

「あのころはタラップ上がった時には、もうげっそり痩せていましたから、決して、何も食べる物がなくて、ああいう状況になったわけじゃなくて…。
子どもの将来のこと(帰国という)変動が、子どもにどういう影響を与えるかを思い悩んでの結果だったわけです。
数十台の(日本の)テレビカメラが並んでいて、大変な迎えようで、それでますます心配が大きくなったということですね。
(マスコミに取り上げられ、北朝鮮でも伝わるのでは?)意外に、入るところからは入るんですね、そういうものは。

日本で家族たちは『会えてうれしい』、それにとどまらず『もう帰るな』と言う。
でも、子どもが(北朝鮮に)いる。
親には『またすぐ来るからさ、いったん(北朝鮮に)帰るよ』と話をしていながらも、そういう中で最初は『いや、そんなことはないから帰るな』と、兄は強く言ってきて、そういう人たち、そういう家族との、また絆を切らなきゃなんない。
なんで両方の絆一緒にして暮らせないのと」

このまま日本に残ると北朝鮮にいる子どもたちはどうなってしまうのか。
ふるさとの人たちに囲まれながら、蓮池さんは悩み続けました。
蓮池さんが決断したのは当初北朝鮮に戻る予定だった日の数日前でした。

●それでも残るということを判断した鍵は?

「私が考えたのは拉致問題というものを北朝鮮が認め、一時帰国にせよ帰したっていうことの重さですよね。
これは北朝鮮にとってすごい決断であって、それだけ、いわゆる日本との関係改善、国交正常化に期待するところが大きいと思うんですよ。
じゃあ子どもを帰すということに比べた時に、じゃあ、子ども帰すっていうダメージって、一体どんなもの、そんな大きくないじゃないか、我々を帰すのに比べれば。
それよりも最初に目指した目的を果たそうとするほうの気持ちが強いんじゃないかっていう思いは、私、浮かんだんですね。
ところが(決断までの)過程は、家内には話していなくて、突然『残るぞ』と言ったものだから、『えっ』っていう話になって、『何言ってるのよ』って話になった。
そのあと、こうだ、こうだっていろいろ話したら、最終的には納得いかない部分もあったんでしょうけど、じゃあ、あんたが言うならっていうことで最後はそういう感じになりましたね」

被害者にとっての解決とは

子どもたちの帰国がようやく実現したのは、それから1年7か月後のことでした。
初めて明かした家族を巡る葛藤。
北朝鮮で生活の基盤を作らざるをえなかった被害者にとって帰国は単純なものではないと知ってもらいたかったと言います。

「(被害者たちは)北朝鮮で生活しながら、絆ができた。
どんな形であれ絆があって、それで(日本に)帰ってくる。
『帰ってきてよかった』ではない。
北朝鮮でできた絆をどうするか、日本で断ち切れていた絆が(帰国によって)つながったのをどうするか、本人が納得いく形にならなければ、私は解決ではないと思う」

蓮池さんは著書で、北朝鮮での過酷な暮らしや厳しい環境の中で生きる人たちの姿を克明に描写しています。
そこには拉致を指示した北朝鮮の指導部と一般の市民とは分けて考えるべきだという思いがあります。

蓮池薫さんが見た北朝鮮の人々

「最初に連れていかれて拉致されていって、見た時にはみんな自分の敵ですよ。
しかし、その中に、近くで私、そういうことを抜きに本当にいろんなことを心配して大事にしてくれる人も中にはいたんですよ。
そういった中で、だんだん生活が苦しくなった時のその国民の生活ぶりを見たときに、これはもう全然違う人たちだという思いはしました」

特に丁寧に描いているのが、90年代後半に起きた食糧危機。
配給が途絶える中、国家の統制を離れ、生きるために食糧を調達しようとする市民の姿が描かれています。
蓮池さんも招待所の周りでトウモロコシを栽培し、窮状をしのぎました。

●食糧の配給制の崩れ 受難の時代の人々を見て

「食べる問題というのはもう生命に関する問題で、北朝鮮の国民は政府が嫌でとか嫌いで(自活を)始めたというより、生きなきゃならないから始めた。
そこには人間の本当の姿、素直な姿しか見えないんです。
それは反政府とかそういうものではなくて、そこに私は同情した。
完全に私ははっきり言って、“国民の味方”という立場に立ったんです」

蓮池薫さんが語る解決への道

10年前、それまでかたくなに否定してきた拉致を認め、謝罪した北朝鮮。
蓮池さんは、その背景に体制の維持を何よりも優先する北朝鮮ならではの判断があったと感じています。

●自分たちは、なぜ帰国できたと思うか?

「日本の経済力、日本からの協力、向こうで言えば賠償。
これが是が非でも必要だった。
なぜかと言いますと、いわゆるその、北朝鮮の人たちはすごく体制を維持するというのが第一目標です。
じゃあ、体制を維持するためには経済的要素もあるわけです。
経済どうでもいいけど、体制維持できる、それは絶対に無理ですね。
経済を立て直すということが、現在の体制を維持していく上で、もう猶予ならない問題になってきた。
一方で拉致問題を認めることも国家的には大きなダメージではあるでしょうけども、これは体制を大きく揺るがす問題にまではならないだろうと」

今年、最高指導者がキム・ジョンウン第1書記に代わった北朝鮮。
蓮池さんは今も拉致問題を進展させるチャンスはあると考えています。

「現在に移して見た時に、じゃあ、北朝鮮の状況はそれから変わったのか、経済状況はどうなったのかといったところ、やはり日本を必要としているし、ですから、そういう状況では、あのときの状況と今の状況とあまり変わりはないんじゃないか。
やっぱり北朝鮮のトップの人も国民が飢えている、それに対しては、やはり上の人たちも、いろんな思いはあるんでしょうけれども、これが体制を揺るがすだろうという心配は必ず持っていると思います。
それは今、現在の政権にもやっぱりあると思いますね」

蓮池さんの帰国後、こう着状態が続いたままの拉致問題。
今後、日本は北朝鮮とどう向き合っていけばよいのか。
蓮池さんは帰国の前、北朝鮮当局から受けた、ある指示について、今回、初めて明らかにしています。

“海難事故に遭ったところを救出”
“社会主義朝鮮にあこがれて「亡命」”

蓮池さんは拉致の事実を隠すために、嘘の筋書きを覚えさせられ、一時は周囲にそう説明するよう命じられたと言います。

「やはり北朝鮮も、やはり国家の権威をかけてこの拉致問題というのがある意味、権威っていうか、それをできるだけね、ダメージを少なくしようという思いがあると思うんですよ。
できるだけ拉致被害者は少なく、(日本に)帰る人もできるだけ少なく、さらに生存している人はできるだけ、日本に帰らないで残しておくのが、基本の原則だと思います。
私もそうだったと思うんですよ」

さらに、北朝鮮が死亡したとしている拉致被害者についても、みずからの経験から違う見方をしています。


「私は死亡者というふうに北朝鮮が報告をしましたけども、私どもが知っている人たちに関して言わせてもらえば、嘘です。
死んだ日にちに生存していらしたということは、ここではっきり申し上げられます。
被害者の運命が取り引き、いわゆる交渉の駆け引きの材料になっちゃいけないと。
これはもう完全に保障されるべきものであって、最初から。
だからこれは妥協はないんだ、譲歩がここであってはいけないんだと。
政府はその中で、いわゆる北が見抜くような自分たちの方針をしっかり立ててですね、さらには言わせてもらうと、その方針をずっと貫いていく姿勢、つまりそれは時間的にもそうですし、政権が代わってもそれは続くんだということですよね。
これは変わらないんだよというのをメッセージを見せないと、また政権代わったら変わるんじゃないかって北が思ったらなかなか動いていかない。
そういうところで政治判断が必要なときじゃないかなと思うんです」

10年目の告白 蓮池薫さんの思い

日本に帰国し、再び自由を手に入れた蓮池さん。
北朝鮮に残されたままの被害者とは明暗が分かれました。
「彼らの胸中を察し解決を急ぐこと」。
蓮池さんから私たちへのメッセージです。

「我々が日本に帰ってきたことを、いろいろな形で(北朝鮮に)残されている人たちは知らないはずはない。
それもかなり早い段階で知っている。
子どもまで帰ってる。
一緒に生活している。
それを知った段階でプツンと何か切れてしまうと思うんです。
もう帰ってる人いるんじゃないか。
なんで我々がって、その思いっていうのは我々の思っているその気持ちよりも、はるかにつらいもの、耐え難いものじゃないかなとそう思うんですよね。
だからそれを思うと、こちらに残されて高齢になっている家族の皆さんの思いと合わせて考えた時に、もうこれは猶予できない問題。
もう、すぐにでも本当に早く解決しなきゃならない問題でしょと。
政府の皆さん、そのへんご存じなんでしょうかと問いかけたい」

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